主な立ち寄り処
皇宮神社(皇宮屋)⇒宮崎神宮(出発式)⇒湯之宮神社(座論梅)⇒立磐神社⇒宇佐神宮
神武天皇宮崎の宮跡と顕彰されています。 |
社伝によれば、神武天皇の孫にあたる健磐龍命が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳をたたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。 |
日向を出発した神武天皇一行が最初に到着し、宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の2人が足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)を作って、宴席を設け一行をもてなしたとされています。全国4万社あまりの八幡宮の総本社です。 |
主な立ち寄り処
岡田宮⇒多家神社⇒高嶋神社
主な立ち寄り処
生國魂神社・白肩津
神武天皇が難波之碕(なにはのみさき)の先端に列島の御御霊を祀り、国家安泰を祈願したことに始まります。 |
神武天皇一行は生駒山のふもと日下の白肩津に上陸したとされています。長髄彦が、孔舎衛坂で激しく防戦したため、兄の五瀬命が負傷されます。これは、東方の日に向かって進んだための不吉である、として進路を変えた場所とされています。 |
主な立ち寄り処
熊野本宮大社⇒熊野那智大社⇒熊野速玉大社⇒神倉神社
主な立ち寄り処
竈山神社⇒石上神社⇒橿原神宮⇒神武天皇陵
本宮の裏に神武様の兄・五瀬命の御陵があります。 |
神武様一行を熊野で救った布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を御祭神として祀る神社です。 |
神武天皇が大和国に入られて、畝傍の橿原に都を奠められた。神武天皇は、橿原の宮に即位されてより御在位76年、日本建国の基礎を打ち立て、137歳の御長寿をまっとうされます。明治になり、橿原宮跡に神宮創建の請願が民間有志から起こり、明治天皇の御聖慮により明治23年4月2日官幣大社・橿原神宮として御鎮座されました。 |
畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接する。直径40メートル、高さ3メートルの円丘が、幅7メートルの壕に囲まれた長辺135メートル、短辺120メートルの方形の区画の中央に所在しています。 |
主な立ち寄り処
伊勢神宮
伊勢神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず)の 川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、内宮=ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、外宮=げくう)及び別宮など125社に及ぶ神社の総称です。 |